たまには母をどこかに連れて行ってあげたいな、と、九州は大分県へと行って来ました。実は学生時代に九州へはオートバイで行っていたのですが、国東半島を回らずに素通りし、その後に会ったライダー達から「なんで行かなかったの!」とか「とっても良いところなのに」などと言われ、この地を素通りしてしまった事を後悔していたのです。その意味では、わたし自身が一番行きたかったような気もするのですが、何はともあれ親孝行旅行って事にしておきます(笑)。 同行するかみさんから、どうせ行くなら湯布院の某・宿に泊まりたいとのリクエストが。ところがそのお宿の宿泊料金の高さに度肝を抜かれました。そのお宿の宿泊料金は、3人分の往復の航空運賃、初日の割烹旅館の宿泊料、そしてレンタカー料金の合計金額と大差ないのです! 「そんなベラボーな宿に泊まれるか!」とも思ったのですが、せっかくの孝行旅行です。今回は清水の舞台から飛び降りるつもりで、大盤振る舞いすることにしたのでした。

実は3月の連休を利用して、南の島に潜りに行く予定だったのです。それがあの大震災で出発2日前のドタキャンとなってしまいました。
以来、連日報道を見るたびに何だか打ちのめされたような気分になり、自分に出来ることは無いかと思案するものの何も浮かばず、相も変わらず自分の知恵の無さに愕然とし、結局は義援金を送るしか方法が見つからず、気分がとても落ち込んでいたのです。だから、私としてはどこでも良いから少しだけでも温泉地でノ〜ンビリしたかったのです。
被災地の方々には何だか申し訳ないような気分もあったのですが、だからといって自粛していたって被災地の方々が少しでも楽になるわけじゃない。一番良いのは、その東北地方の温泉地に行くのがベストなんでしょうが、それはまだちょっと時期尚早なので、せめて東北地方の食材やお酒を消費することで許してもらうことにし、今回は今まで行ったことが無く、しかも学生時代に素通りしてしてしまった国東半島を候補地にした次第なのです。
リードにも書きましたが、かみさんは湯布院のチョーお高いお宿に泊まりたいと言います。後で詳細を書きますが、一人一泊4万円台です! まるでぼったくり料金のようです(笑)。しかし、クチコミ読むと全員良いことしか書いてありません(その値段で悪いとこあったら潰れてますね)。
「ヨ〜シ、行ったろうじゃないか!」と気合い入れて予約しちゃいました(泣)。3人分で15万円近いです!(号泣)

そのお宿の宿泊に合わせて往復航空券と2食付きお宿、そしてレンタカーもネットから申し込みました。
さて、羽田発10:40だと大分にはお昼前に到着です。お昼時なのですが、まずは空港前のレンタカー・ショップに向かって足の確保です。レンタカー・ショップのお姉さんに「この辺で美味しいラーメン屋さん知りませんか?」と聞いたら、しばし???の後、「ありませんねぇ」。ラーメン屋ってのは全国区だと思っていたのですが、どうやら地方によってはそうでもないようです。「別府方面に行けば開けてるからあるでしょう」の言葉に、まずは大分空港から南に向かいました。
ところが、別府に向かう道を行けども行けども何もありません。結局、うどん屋を見つけてそこで腹ごしらえ。
エネルギー充填し、さてどこに行こうかと思案しました。今回は国東半島に点在する寺院を巡り、豊後高田市の昭和の町に行くのが主たる目的地で(私は。かみさんは湯布院)、それは明日の行程で充分消化できます。ならばせっかく別府方面まで走ってきたのだから、有名な地獄巡りにでも今日は行ってみるか、と相成りました。
ところが、現地に到着すると観覧料金¥400。このお値段、ひとつですよ。地獄全部(8つ)を回る通し券だと¥2000。入り口のおばちゃんも何だか愛想が無いというかどちらかというと怖い雰囲気。その目つき、まるで睨んでますよ、お客さんを。どうしようかと思案してると、その目つきの怖いおばちゃんが「最初の地獄“龍巻地獄”がもうあと数分後に観られる(30分〜40分間隔の間欠泉)から早く決めろ」と催促しだした。気の短い私は「エ〜ィ、うるさい! ならその龍巻地獄だけでいい」と1200円(3人分)払って走るように入場。入場するなり温泉が噴きだしてきました。結局、ブシュ〜のひと吹き観ただけで早々に退散。5分も居なかった(T_T)

別府の地獄をチラリ見して、今夜のお宿がある国東半島の東端にある国東市へと戻ります。
桜の季節はきっと素晴らしいことでしょう。桜八幡神社 南下してきた道を再び北に戻ること1時間ほど。目指す宿は「海喜荘」という割烹旅館です。先ほどのレンタカー・ショップの前を通り過ぎ、ちょっと走ったらラーメン屋がありました。レンタカー・ショップのお姉さん、いつも手弁当での昼食なんでしょうか?

国東市に入ると、至る所で神社を目にします。これが国東なんだなぁ、と思いつつ、フラリとそのうちの一つに立ち寄りました。“桜八幡神社”とあります。なんでも県の指定文化財だそうですが、詳しくは知りません(汗)。名前にあるように、参道両側には桜の木が並んでいましたが、残念ながらすでに散ってしまってました。

この町をしばし散策したのですが、驚いたのはすれ違う人がみな「こんにちは!」と声を掛けてくれるのです。最初に声を掛けてくれたのはこの桜神社で遊んでいた小学3年生くらいの男の子達でした。「ちゃんと挨拶できて偉いね〜」なんて言ってたらその後、会う人、会う人、お爺ちゃんやお婆ちゃんみんなが挨拶するのです。今や都会では知人とすらすれ違っても挨拶を交わさない人もいますからねぇ。こんな当たり前の行為が、こんなに驚きと新鮮さを与えてくれるとは……。なんか哀しいなぁ。
割烹旅館「海喜荘」はかなり古い旅館です。女将さんは、たしか大正初期の建造だと言っていたと思います。お風呂は残念ながら温泉ではありません。部屋に荷物を置くなり、私はすぐにお風呂に入ったのですが、温泉効果があるという石がゴロゴロ湯船に入れられていました。確かあの石って「効果がない」と国民生活センターか公正取引委員会だかに注意されたんじゃなかったかしら? 後でかみさんに聞いたら女湯の方には入ってなかったそうです。きっとそのテのニュースは女性が見てる可能性の方が高いだろうからなぁ(笑)。でも、この日の泊まり客で男はわたし一人。広いお風呂ではなかったけど、一人独占してじゅうぶん楽しめました。

割烹を売りにしてる宿だけあって、料理は申し分ありませんでした。この日の献立は城下カレイのお刺身にメバル(多分(^^;)の煮付け、タコの蒸しものと天ぷら、そして豊後牛のステーキ。女将さん曰く「海産物はその日に捕れたものをだすので、献立表が書けないんです」。
いや、最高に美味しかったです!
さて翌朝。
大分に到着するまでは、まずは両子寺に行ってみようと計画していました。ところがその両子寺のそばに文殊仙寺というのを発見。しかもその“文殊”というのが、かの「三人寄れば文殊の知恵」の語源なのだと知りました。
今まで普通に使ってた言葉ですが、それを知ったら今度は「だったら文殊って何さ?」と疑問を持ちました。その答えはきっとこの文殊仙寺に行けば判るだろうと、女将さんに文殊仙寺へ行くのは大変かと聞いたら、30分ほどで行けると言います。しかも今、12年ぶりのご開帳をしてるとのことで、是非にでも行くべきだと勧められました。そうなりゃ行かねばなりますまい。

女将さんに別れを告げて一路、文珠山にある文殊仙寺を目指します。文殊仙寺までの途中、開運富くじロードという道を走ります。なんでもこの街道沿いに宝くじを持参して祈願すれば大当たり!するという富来神社があるのだそうです。ならば富来神社にもちょっと寄ってこう。しかし…………宝くじ、持ってきませんでした(泣)。
宝くじ持参でお願いすれば億万長者に!? 富来神社
文殊仙寺への参道 富来神社から目指す文殊仙寺まではすぐなのですが、近づくにつれ道はかなり険しい山道になります。車1台がやっと通れるような山道を抜けて、ようやっと文殊仙寺に到着しました。途中の道は狭く険しいのに駐車場はやけに広くてしっかり整備されてます。私たちが到着した時には4〜5台の車しか止まっていませんでしたが、きっと多くの人が来るのだと思われます。
この駐車場わきから石段を登っていくのですが、その入り口にご丁寧にも“280段あります”と書かれてる。覚悟して登ってきなさい…ってことですね、ご親切にどうもありがとう(-_-;)
初日からこの階段登るのは、70才過ぎた私の母にはちょっと厳しいな、と思ったのですが頑張ってもらいました。でも頑張った甲斐はあり(多分)、山肌の岩盤をくり抜いて造られた本堂は威厳を感じさせてくれます。まずは文殊さまに会う前に本殿入り口で邪霊払いをしてもらいます。その後に薄暗い岩盤の中の本殿を進み、文殊菩薩様の前に。かつては50年ごと、そしてその後戦前までは33年ごとの御開帳で、しかも本殿の格子窓ごしでしか会えなかったそうですが、今回から菩薩様の目前まで入れるようになったのだそうです。文殊様は20aくらいの大きさでした。文殊菩薩さまは知恵の母です。頭が良くなるようにお願いして、本殿の裏にまわって知恵の水を戴きました。これで私は明日から天才です(^_-)-☆
文殊仙寺では鐘も突かせてもらえました。自分で突いた鐘の音が山並みに響き渡るのはなんとも快感です。この時、文殊仙寺ではお寺が保管する文化財も陳列公開していました。樹齢300年ともいわれる大ケヤキを見て再び石段を下りました。
文殊仙寺から当初予定していた両子寺まではすぐなのですが、階段の上り下りで疲れてしまったので、アッサリとパス。次に予定していた豊後高田市にある昭和の町に向かうことにしました。その途中で岩戸寺の道路標示を発見。何となく名前に興味を抱かれちょっと寄り道。
岩戸寺から昭和の町へ向かう途中に御輿発祥の地として有名な宇佐神宮の前を通ったのだけど、これまた神宮は広くて散策も時間を食いそうなのでパス。そうこうする内に豊後高田市に入ったけど、肝心の昭和の町がどこにあるのか判らない。たまたま「トイレ、ご利用ください」と書かれた看板を見つけたので、その旅館のトイレをお借りして昭和の町の場所を聞く。この旅館の裏手だった(汗)。
昭和の町はレトロっぽさを無理矢理残しているようで、ちょっと期待はずれでした。しかも客引きはしつこいし、蜂蜜売ってる店の店頭に大きなスズメバチの巣が展示されてたから写真撮ろうとしたら「撮影はご遠慮ください!」。何でダ? ケチくせ〜!(でも撮っちゃったよ〜だ*^Q’) ここ昭和の町で昼食にしたのかったのだけど、ろくなお店が見つからず、町の外れのラーメン屋さんへ。いや、大変美味しゅうございました。 
文殊仙寺の鐘突堂 「撮影ご遠慮ください!」のお店
湯布院駅 時間的にはまだ早いのだけれど、かみさんがどうしても行きたいという“清水の舞台から飛び降り”覚悟の宿へ早々に向かう。
豊後高田市から湯布院まではおよそ60qほど。1時間そこそこで到着。お宿に入るにはまだちょっと早いので湯布院の駅まで行って町を散策、………しようと思ったら、なんとも風情の無い町で……(-_-;) 
なんだか軽井沢にでも来たような雰囲気。駅前のメインストリートは観光客の姿も大勢あったけど、お店はこじゃれたカフェやおみやげ物屋さんばかり。排水溝から温泉の湯気が立ち昇る、もっとひなびた温泉街をイメージしていたのだけどなぁ。それでもプ〜ラリ、ブ〜ラリ歩いていたら人力車のお兄ちゃんに町中観光はどうかと声をかけられた。「何か見るところあるの?」と聞いたら金鱗湖なんかはどうかと言う。う〜ん、イマイチ。やっぱりお宿に入ろう。
さてそのお宿です。無量塔と書いてムラタ、といいます。湯布院から山に向かって5分ほどのところにあります。それぞれの部屋が独立して、いえ部屋じゃないな、一棟一棟が独立し本館のまわりに8棟あります。それぞれの棟は全て異なる家屋で、私たちが泊まったのは新潟にあった古民家をここまで運び立て直し手を加えたものだそうです。各棟独立なのでお風呂は全て部屋風呂です。リピーターさんはその度に別の棟に泊まり、それぞれのお風呂を楽しむようです。
湯布院駅前のメインストリート
まだ泊まったことはありませんが、そのサービスぶりが評判でサービス業のお手本として本にも書かれ講習会でも取り上げられるあのリッツ・カールトンは、泊まればきっとこの無量塔の感じに近いのかもしれません。しかし、あちらはホテル。好き嫌いはあるでしょうが、私はこのような日本家屋の方が落ち着いて好きです。
料理もどれも手のこんだもので美味しかったですが、食材自体は前日泊まった海喜荘に私は軍配を上げます。かみさんは大満足だったようですが、さて私はどうかなぁ。また、来てみたいと思ったのも事実だけど究極の贅沢だなぁ、やっぱり。
チェックアウト時間(11時)ギリギリまで近所を散策したり部屋でのんびりして、別府に再び出ました。そこから空港へ向かう途中、杵築の武家屋敷あとに立ち寄りました。平日だったので観光客の姿も少なくて、何だか本当に江戸時代にタイムスリップしてしまったような感覚に陥りました。まるで時間が止まっているような場所です。

接待ゴルフの予定が突然中止になり、ならばと出かけた2泊3日でしたが大分県って見所いっぱいあります。まだまだ見たい所、行ってみたい場所が増えました。また、行くチャンスは訪れるでしょうか? その時はまた無量塔に宿泊できるでしょうか? 少なくとも今回、母は満足してくれたのではないかと思っています。
吉の部屋 吉のお風呂 メインロビーの暖炉 ご飯はかまど炊き
北台武家屋敷 酢屋の坂を望む
江戸時代の台所 杵築の武家屋敷あと 杵築城